3月12日(日)のひきこもり支援の意向のミサ、および分かち合いの会は、主催者の都合により休会いたします。
次回4月9日(日)、受難の主日に一緒にミサの中で祈りましょう。
3月12日(日)のひきこもり支援の意向のミサ、および分かち合いの会は、主催者の都合により休会いたします。
次回4月9日(日)、受難の主日に一緒にミサの中で祈りましょう。
分かち合いの会は当事者と家族のためです。
私たちの分かち合いの会では、ミサに続く時間でもあり、最初から半ば心を開いた状態です。そこでプリントなどを配布したりするのは困ります。先日部外者が入ってきてプリントを配布し始めたので回収して退出していただきました。人が集まっているからといって、他のことに使おうとしないでください。
特に支援活動をしている方の中には、当事者や家族を支援活動に使おうとする人たちがいます。
私たちの分かち合いの会では、荷物を降ろして欲しいと思っています。別の荷物を渡すつもりはありません。
当事者や家族の居場所を確保するためには、大切にしなければならないことがあります。
ひきこもりは200世帯に1世帯の発生率と言われ、当事者や家族は自分の周りに話し相手がないような状況です。
私たちの分かち合いの会は、雑談していることが多いのですが、貴重な場所になっています。
もう一つ、当事者への理解をお願いします。
当事者とは、例えばこういうことです。
私は4年間ひきこもりました。これは、私がひきこもり経験者だと名乗っている根拠です。経験したとは、今現在は引きこもってはいない、かつて経験したとという意味です。経験者であるということを広い意味での当事者に含ませて、ひきこもり当事者ですと言っています。そして発達障害でもあり、学習障害を持っています。
当事者であるということは、こういうことです。
ただし、自分が当事者ではなくても、家族は家族という当事者です。親戚や友人の方たちの中にも当事者的な方たちがあります。
また、それ以外に同伴者、つまり当事者と同伴する経験を重ねてきている人たちです。
このような方たちは歓迎します。
しかし、当事者であるとほのめかすような、何の当事者であるのかわからない時は、参加が難しくなる時があります。
ご協力をお願いします。